ランニングは今まで年に1回あればいいペースで、体がうずうずした時にしていた。
今月に誕生日を迎えて30歳になったということで健康に気をつけようとの気持ちもあって久しぶりに走ることとした。
久しぶりに走ってフォームを意識することが走りに大きく影響することが分かった。
いつもはランニング後半となると、脛のあたりがパンパンに張って走れないほどだったが、今回は全然感じなかった。
前傾よりの重心位置に足を着地させることによって、足を持ち上げる際に脛の筋肉を使う割合が減っていたから。骨盤?腸腰筋?おしりの筋肉?で足を上げるのでそちらに力が使われていたのだと思う。
中学と高校と陸上をしていたので、そもそも走り方は身についているものと考えいてたので、フォームについて意識することはなかった。
特に中学では顧問の先生が力を入れていたこともあり、活動内容も手厚かったのでいい成績が出せていた。
正しいフォームが意識しなくても感覚的に身につくような練習を与えてもっていたので、その練習が意味する本質的なことが理解できていなかった。
その状態でそこそこ走れるようになってしまった弊害として、知らず知らずのうちにがむしゃらにすれば成長する・練習量を増やせば成長するという考えが身についてしまっていた。
高校の顧問は”考えろ”が口癖であり、環境も真反対であった。
中学校では与えられたことをこなすことでうまくいっていたので自分で考えることもなかったので、考える行為自体が未知数であり考えることを考える状態がだったと思うし、顧問の考えに対してかなり反発心があった。
高校での練習は自分で考えること中心でメニューを組むことになるが、内容は中学の焼き増しのような感じであった。次第に面白みを感じなくなってしまったり、タイムが伸びず、下からの突き上げによるストレスから途中で辞めてしまった。
今思えば高校生で自分で考えて行動するのは結構ハードルが高いのではと感じている。
考え方のきっかけなどを与えてもらう機会が無いと身につかないのでは?と感じた。
うまく自分で考えることができた選手は実力をつけて伸びていくのだろうと思う。
(最近だと大谷選手も高校時代にドラフト1位8球団という目標から、日々のタスクを考えていただろうし。)
そういう経緯より、走ることについて自発的に考えることは無かったが、今回フォームについて考えて走ってみると今までと違う結果となり、もっと早くに気が付いておけばよかったと感じた。
また、本質を理解できていない状態でも練習をこなすことで実力がついてしまったという成功体験があるが故に、目的が曖昧でも努力すれば何とかなる。がむしゃらに行動すれば力がついてくるのだという考えが身についてしまったのかなと再認識できた。